有島コレスケを知っているだろうか。文豪、有島武郎を曾祖父、名優、森雅之を祖父に持ち、told、0.8秒と衝撃。スズメーズ、BOYLY Entertainmentに籍を置きながらドレスコーズの最新作で全曲ベースを弾くなど、多くの顔を持つ東京のインディーシーンで注目を集めているアーティストの一人だ。彼が初のソロ・アルバム『PLANKTON』をarko lemming名義でリリース。今回Diggityではソロ作品、そして彼の音楽シーンへの思いを訊いた。
[メンバー] | 有島コレスケ |
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[取材・文] | 伊藤啓太 |
[写真] | 鈴木”もぐら”悠太郎 |
有島コレスケとは
――有島さんすごく多くのバンドを同時にやっていますけど、正直大変になることってないんですか?
有島いや、別にそんなに大変では無いです。どれもやりたくてやっている事ですし、それぞれ音楽性も違うし意外とやれてますね。
――自分の中でこのバンドはこういう自分を出す。みたいな明確な線引きってありますか?
有島そうですね、作為的にここはこうしよう、ああしようってやりたいようにやってますね。
――まずはパーソナルな部分を伺いますが、最近知りましたが海外で生活していた時期もあるんですよね。一般的には小学校から思春期のあたりに聴いていた音楽の影響って感性の形成にすごく寄与するというか、自分の趣味嗜好の多くに影響を与えると思うんですけど、海外で生活していた影響ってありますか?
有島オーストラリアとドイツで生活していた時期があります。とはいえ小学校低学年とかなので、現地のCD屋に行くということもほとんどないし、正直日本にいる人たちと変わらないですね、親の影響とか。聴いてたの日本の音楽ですしね。
――具体的には?
有島SMAPとかSPEEDとか、H JUNGLE WITH Tとか(笑)。日本で流行っていた音楽を日本人のつながりとかで聴いてました。
――じゃあオーストラリアで生活していたからと言ってAC/DCに影響をうけたりはしなかったんですね。
有島全然(笑)Hansonが流行っていましたね。
――楽器との出会いって覚えてますか?
有島家にクラシックギターがあって、それをオーストラリアにいる時に触ってた気がしますね、。後は小学校の音楽室にドラムがあって、それを叩いてましたね、バンドとかやってたわけじゃないんですけど、意外とちゃんとエイトビートの練習とかしてました。独学ですけど父に仕組みだけは教えてもらったりして。
――実際ちゃんとバンドをやりはじめたのは中学校に入ってからですかね。初めて演奏した曲って覚えてますか?
有島そうですね、三浦エミル(sheeplore)に誘われて。初めて演奏したのはGLAYの「彼女の“Modern…”」ですね、三浦がギターだったからベース弾きました。オリジナルの曲やり始めたのは高校入ってからですかね。toldの前身バンドがありつつ、スズメーズもありつつ。あ、披露はしてないですけど楽曲は中学校の時から作ってたなぁ。
遊びじゃないですか、バンドって
――今でこそ様々な楽器を演奏してますけど、一番好きな楽器はなんですか?
有島ベースとドラムだったらドラムかなぁ。ドラムは音階も無いし一番感覚的だし即興性が高くてドラムが一番好きかな。ギターとベースだったらギター。
――そうなんですね(笑)。
有島だってギターは色々できるじゃないですか弾き語りもできるし。ベースはもうひっくい音でね(笑)。ベースは他の楽器がいてこそですからね。
――前に高校生くらいから今に至るまでほぼ毎月必ずなんらかのライブがあるって言ってましたけど、そこからスタートして今に至るまで音楽活動って有島さんにとってどんなものですかね。
有島どういう位置づけなんでしょうね。でも、それやっている時以外は病んでる……病んでるではないか(笑)バイトをしたくないというか遊んで暮らしたい、その遊びっていうのが音楽。元々軽音部とか友達と組んで遊んでいるものじゃないですか、それの延長だから仕事と思っていない。
――今回のソロもですけど今メンバーとして活動しているバンドやサポートでの演奏などで、バイトをしないでも生活をできるようになってもあくまで音楽は仕事という感覚とはちょっと違う。
有島そうですね。こう言うとちょっと角が立つかもしれないですけど、遊びじゃないですかバンドって、楽しくて。
――では今の多くのバンドに参加し、サポートとしても音楽をやることができている環境というのはすごく楽しいんじゃないですか?
有島そうですね、忙しいのが一番いいです。暇ができると俺は風邪をひく(笑)。今の環境は楽しませてもらってます。