2ndミニアルバム『ランドリー』を7月1日(水)にリリースする、リコチェットマイガール。彼らは、昨年10月に前作『きっと鳴り止まない』で初の全国リリースを果たし、大内岳(TRUMAN / OLD JOE)をサポートドラマーとして迎え全国を巡るリリースツアーを敢行した。
バンドにとってひとつの転機となった前作から、意識的に“目線を変えた”という新曲が多数盛り込まれた今作。「言葉にも適齢期がある」と語る稲荷直史(Vo/Key)は、リリースのたびに自らを省みることで変化を試みている。しかし、今回のインタビューで彼のバイオグラフィーをたどるうち、バンド結成当初からの変わらない“姿勢”も発見することができた。
[メンバー] | 稲荷直史(Vo/Key) |
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[取材・文] | やえがし |
[写真] | 鈴木“もぐら”悠太郎 |
このバンドを辞めることがあったら、もうバンドはやらないことにしよう
――キーボードを始めたのはいつぐらいなんですか?
稲荷中学校の約3年間、YAMAHAのピアノ教室に通っていました。
――バンドのバイオグラフィーに、リコチェットマイガール(以下:リコチェット)より以前のバンドではドラマーだったと書いてありますよね?
稲荷高校を卒業してから1年ぐらい活動していたバンドでドラムをやってました。そのバンドが活動休止してから、次にグランジ / オルタナ系のNIRVANA、The Velvet Under ground、Sigur Rósみたいな感じのものに影響されたバンドでキーボードを頼まれたので、轟音のなかで黙々と弾いてました(笑)。
――今とは音楽性が全然違いますね。
稲荷だいぶ違いますね。グランジもオルタナも好きですけど、今思うと何とも似つかないようなバンドでしたね。それから、そのバンドがうまくいかなくなったとき、当時のベースの子に「稲荷さんは好きなことをやったほうがいいと思います」って言われて……。
――そんなにハッキリ言われたんですか。
稲荷たぶん向いていなかったんだと思います。その子は僕が曲を作れることも知っていて、ふわふわ活動しているぐらいなら「自分の好きなことをやってほしい」って思ってたんでしょうね。
――すごくいい後輩ですね。
稲荷じゃあやってみようかなと思ってそのバンドから抜けて、「さあ、次のバンドをやろう」と思っていたときに、そのベースの子がちょっといろいろあって会えなくなってしまって……そっからずっと会ってないんですけど。だから「このバンドを辞めることがあったら、もうバンドはやらないことにしよう」と思って、リコチェットを始めました。