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バンドマンというよりか、ピーター・バラカン的なポジションにいきたかった

――野口英律の音楽背景について、バンドをやり始めたきっかけは?

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTですね。

――前も言ってたね。

最初からベースですね。「G.W.D」のシングル版のイントロで「デデン」ていう二音が入るんですけで、あれがきっかけですね。

――あれにやられたんだ? 「俺ベース弾くしかねー!」みたいな?

あれで興味を持ったんでしょうね。たぶん中学2年くらいだと思います。

――それでベース買いに行ったの?

おふくろが昔弾いてたエレキベースが家にあったんですよ。LED ZEPPELINとかやってたらしいです。

――お母さんいくつ?

五十いくつですね。

――幼少期から音楽に触れて育ったの?

ベータのビデオデッキがあって、EMERSON LAKE & PALMERとかJimi Hendrixとかオールドロックというかクラシックロックのテープがやけにたくさんあって、なんとなく垂れ流されてるみたいな。

――それはお母さんが見てたの? お父さん?

おふくろですね。親父も見てたみたいですけど。

――お父さんもバンドマン?

親父はギター弾いてたらしいっていうくらいしか知らない。おふくろはハードロッカーなんで話が合わないんですけど、コテコテなの好きで、BON JOVIとか。最近だとGREEN DAYとか。あと、OASISとかHEAVENとか。俺が菊池成孔とか聴いてるとつまんなそうな顔してる(笑)。親父のほうが話が合いますね。

――ジャズとか?

ジャズ好きみたいですけどそんなに深い話はしたことないですね。Lauryn HillとかあのへんのR&Bとか好きみたいっす。

――そんなところで育ったんなら、お母さんにベース借りていい? みたいな?

ベースは半分ゴミのような状態で物置にあったからなんの承諾も得ずにひっぱりだしてきて、ELKのちっちゃいアンプもあって、カビはえまくってるんだけど電源繋いだら普通に使えて。

――家でべきべき弾いてたんでしょ?

けっこうずっーと弾いてましたよ。

――そっからはベース一本でずっと?

そうですね。ギターは中3か高1のときに買ってもらったりしましたね。安い初心者セットみたいなの。1万か2万のシャーベルのすげえチープなやつ。

――なんでギターやろうと思ったの?

なんとなくギターも弾いてみたくなったんじゃないですかね? ベースを始めたきっかけはミシェルガンエレファントだって覚えてるんですけど、ギターは誰かっつうとわからないんですよね。

――その頃にはバンドやり始めたの?

いや、メンバーがいなくって。地元は浦和なんですけど、俺が好きなBLANKEY JET CITYとかTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとか聴いてるやつはあんまいなくって、浦和の中学校で最先端の音楽情報源はテレビで深夜にやってた「カウントダウンTV」かテレビ埼玉の伊藤正則の番組で、SEX MACHINEGUNS , X JAPAN、ちょっと頑張ってTHE MISFITSとか、そういう速いやつ。「速いのすげー!」みたいな感じでギター始めるやつはいたんですよ。グロめなV系好きのヘビースモーカーの同級生もいた。

――バンドを組むまでにはいかなかったの?

そうですね。当時はあんまり速いの好きじゃなくて、速弾きとかあんま興味なかった。そのあとにヒップホップブームでキングギドラとか全盛期で中学生のヤンキーみたいなやつはみんなB系になるんですよ。

――中学校の頃? 野口、今いくつ?

31歳です。メタルっぽいのばっか聴いてたやつらが今度はみんな「キングギドラだー!」ってB系になるんですよ。俺はたぶんその頃Dragon AshとかRed Hot Chili Peppersとか聴いてたんですよ。普通の音楽好きの中学生。深夜に「HANG-OUT」って番組がやってて、いろいろ聴いてた。当時のヒップホップだとSHAKKAZOMBIEとSUIKEN(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)はよく知らなかったけどすごい聴いてた。

――その頃周りでバンドやってる人はいなかったの?

いなかったっすね。一応音楽の話がちょっと合う友達が1人いて、ギターとベースだけでブランキーのコピーみたいなのを家でずーっとやったりとかしたことはあるんですけど、ドラムとかいないんで。吹奏楽部とかはあったんですけど軽音楽部はなくて、音楽の授業でもギターをやった記憶はないですね。

――バンドを最初に組んだのはいつ?

高校のときに重たいバンドを組んでは解散して。

――KORNとかの影響?

そうっすね。KORN、DEFTONES、TOOL、RAGE AGAINST THE MACHINE、MUDVAYNE、PRIMUSとかあの辺りですね。

――その頃にはドラマーも見つかったの?

高校入ったばかりでは見つからなくて組めなくて、2年のときに後輩に叩かせたり。高校に入ってから軽音部があったんで。ただ、けっこう話の合う人いないんですよ。

――その頃はコピバン?

曲作ったりはしてたんですけど演奏するまでいかなかった。その頃に作ってた曲とか家探せばMDとかあるかも知れないですね。

――どうやって作ってたの?

部室に集まって勝手に練習してたんですよね。それで、弾いて、覚えて、合わせての繰り返し。それで高2くらいのときにハードディスクのMTRを買うんですよ。

――お、高いやつ?

当時はMDのやつのほうが高かったんですよ。MDのほうがほしかった記憶がある。フォステックスのハードディスク内蔵のやつ、80GBだったかな? 「ラインで重ねて8トラックも録れる、すげー!」みたいな。

――そこから宅録を始めるの?

はい、その頃からやってること、あんま変わらないですよね。

――ドラムは打ち込み?

友達からリズムマシン借りて、この頃からすでに奇数拍子の曲とか多くてパッドを手打ちですよね。「どんどんぱど、どんどんぱど」って。ほぼAT THE DRIVE-INみたいな曲もあった。

――高校を卒業してからは何やってたの?

大学生。

――大学行ってもバンドやってた?

そうですね。サークルでコピバンばっかりやってました。いろいろやりましたね、MUSEとか、AT THE DRIVE-IN、DEFTONES、INCUBUS、GLASSJAW。

――重めなやつばっかだね。

自分発信でやったのはそのへん。QUEENS OF THE STONE AGEとか。軽めなやつはDo As Infinityとか。

――いきなりとんだな(笑)。ギターで?

いや、無理やり「ドラムいないからドラムやって」って言われて。

――ひょっとしてそれがドラム叩いたの最初?

人前でドラム叩いたのはそれが初めてかもしれないです。

――ドラムやり始めたのはいつ?

曲を作ったりするときになんとなく触ってはいたんですけど、ドラマーっていうかんじになったのはMUSQISのちょい前、24歳くらいからだと思います。

――元々軽音部とか大学にドラムセットがあったから暇なときちょろっと叩いてた感じ?

そうですね、ゼロからのスタートではないけど、始めたなあという感じになったのはほんと最近5~6年。

――大学でずっとコピバンをやってて……。

オリジナルをやるメンバーを探してたんですよ、でもメン募もダメで。やりたいことは、今考えるとMUSQISだったんでしょうね。それをメン募とかで言ってもうまく伝わらないし、メンバーがずっと見つからないっていう。

――ひとりも?

そうですね、実際会った人もいますけどメン募はひとりも見つからなかったですね。

――大学卒業してからは何やってたの?

自衛隊入りました。

――その頃はバンドなんかできないよね? なんで自衛隊入ろうと思ったの?

――全然できないすね。いろいろあって。親父が一瞬無職になって、「お金稼がなきゃ」と思って入ったんですけど、入って1年くらいたってちょっと落ち着いたら、いつの間にか親父は新しいところに就職していて、前より羽振りがよくなってた(笑)。実家帰ったらテレビもでっかくなってるし、「なんだこれは」っていう。

――自衛隊は何年くらいやってた?

一任期なので2年ですね。

――自衛隊を選んだ理由は?

祖父が警察官だったりして、(自衛隊は)割と近いところにあったんです。

――自衛隊やってるときはバンドできないからストレスたまらなかった?

……たまりましたね。ああ、でも、よくやってたなあ……。

――じゃあ2年間ずっと音楽には触れない時期だった?

神奈川のはずれの駐屯地にいたんですけど、たまにやっと外出できて。横浜にタワレコ、HMV、ユニオン、マウントポジションがあるのでそこまで行って、えらい量のCD買っちゃってました。それを寝てるときに聴く、みたいな。

――そういうのは許されるんだ?

はじめのうちはダメなんですけど、ちょっとずつ緩くなってったのを見計らいながら、空き時間に聴いたりとか。

――その頃に買ってた音楽で良かったのは?

その頃買いすぎててけっこう分からないんですよね。もう高校のときからけっこう音楽を入れまくってて。高校、大学はバイト代を全部CDか機材に入れて、音楽入れまくってましたね。

――自衛隊やめたのは、親父さんがそんな状態になったから?

そうですね。

――それから「もう1回バンドやろう」となった?

いや、ギターボーカルやってるバンドは、そのときにはもうあって。ほそぼそと存続していた感じで。大学4年で組んで、そこそこ存続してだましだましやってた感じ。

――そのバンドをもう1回やろうか、という感じ?

そうですね。

――ライブハウスに出始めたのその辺り?

ライブハウスには人のサポートとかでちょいちょい出てたんですよ。大学のときにオリジナルのヘビィロックのバンドとか。

――そこからギターボーカルのバンドまたやり始めたの?

それは元々はベースなんですよ。だんだんギターボーカルにシフトしてった。

――そのバンドはもうなくなっちゃった?

もうやらないですね。

――ライブハウスはその頃にはガンガン出てた?

言うほどがんがんではないですね。

――そこからはどうしたの?

そこから、そのバンドをやりながら、メンバーで会社員がいてほとんど土日以外できないから平日で何かできないかなと思って、いろんなことをやってた。それでMUSQISの前身につながっていく感じですね。自衛隊出た24歳くらいのとき、秋葉原で働いてたんですけど、ちょくちょく出ていたJAMに「バースタッフが足りない」「深夜だけでいいから」って言われて月3くらいのペースで働き始めた。

――そこで、MUSQISへとつながる人たちへの交流ができていった?

今となってはそうですね。BxAxNxZxAxIもその頃話すようになった。

――確かに、pocketlifeとかもJAMによく出てたもんね。

pocketlifeの打ち上げで、pocketlife観たことないけど打ち上げスタッフとして深夜出勤するから、ライブ観たことないけどよく話す、みたいな。あと、当時JUGONZの原田卓馬(WINDOWZ)も同じくらいに会ってますね。バンドがやりたいかというとそうでもなかったですね、それでもやりたいけど。割とディスクガイドっぽいことのほうがやりたかったかもしれない。バンドマンというよりか、ピーター・バラカン的なポジションにいきたかった。どうしたらなれるんですかね。

――バンドやりたいというよりは、いろんな音楽をいろんな人に紹介することのほうがやりたかったのね?

そう。「バンドやりたいけど組めない」ときに、いろいろ聴きすぎて。「もっとこういうの聴いたら面白いんじゃないの?」というのはたくさんあるんです。

――それだけ音楽の許容範囲が広いといろんな人と話せるよね。だからバーカンは向いてたんじゃない?

どうですかね。いろんな人と話したいですね。向いてたのかなあ、分かんないすね。

――MUSQISのときはJAMのつながりで、「自作の曲をやるためにはたくさん人を集めないといけないな」ってなって、集めていった感じ?

そうすね。それが時を経て大きくなっていった感じ。

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伊藤ヒロタツ
  • 伊藤ヒロタツ
国内激情系ハードコアの代表格バンド「killie」の構成員。