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MVは作品ではない?

――YMPさんは94年・95年世代のいわゆる若手。デジタルネイティブ世代としてテクノロジーの発展と普及を肌で感じながら高校生の頃からMVを作り続けてきたなかで、MVを見てくれた人や、依頼する側であるアーティストの反応に変化は感じませんでした?

YMP見てる人の反応は変わってないと思います。“MVを見る” っていっても一部を除いては実際多くの音楽ファンは見てないから。その人たちは楽曲を聴きにきてる。

――スマートフォンやYouTubeが普及して視聴環境も変わり、いかに手軽に視聴できるかも大きく変わったと思うのですが、そのなかでもMVの存在意義は変わってないと?

YMP僕は、MVは「広告」やと思っていて、それは昔から今も根本的には変わってないと思う。諸説あるけど、メディアに引っ張りだこで忙しすぎたビートルズが、「ビデオ撮ってそれ流せばいいじゃん」ってなったことがMVの始まりと言われていて……そういうところから考えると存在意義は大して変わってないと思います。

――広告……「作品」ではないのですね。確かに実際に制作するときにはアーティストの具体的な要望を踏まえられることもあると思いますが、YMPさん側から提案される部分もあると思います。それでも「作品」ではないと。

YMPはい、確かに提案するときもあります。でも本質的には作品ではないと思う。だって音楽も頂いてますし、お金も頂いてますし。やっていることはアーティスティックなことというより、アートディレクション。だから本質的にはMVは広告で、結果として「作品」の形を取るだけ。今も昔もその在り方は変わってない。広告っぽいMVはめっちゃダサいですけどね。

MV画一化、アーティスト側の要因とは

――なるほど。MVの存在意義は本質的には変わっておらず「広告」であると。しかし「MUSIC VIDEO」からも感じられるように、演出すら変化せず新しさがないMV……誤解を恐れず言えば非クリエイティブなMVが量産されています。

YMPそうですね。アーティストが可哀想だなと思うMVはあります。全く音楽の世界観を拡張できていなかったりとか、何のためにこの映像を作ったのか、アーティストが何のためにお金を払ったのか分からないもの。マイナスにすらなるMVもある。

――それって原因は何なのでしょう。……例えばYMPさんと同じくMV制作をされている夏目現さんは、「アーティスト自身が、憧れたアーティストの映像作品に影響されて、ただ似たものを作りたがってしまっている」と指摘されています。アーティストも分かっていない、アート性が欠けているのだと。

YMPそれもあると思います。アーティスト側は自分たちがどうなりたいかってのは明確に持っておかないといけない。いま一緒に仕事してるあいみょんとかyonigeとかCRAZY VODKA TONICとかは、まず向こうが描くイメージに対して、僕がアイデアを出す。そしてそのアイデアに対してさらに意見をくれて。「それならこっちの方がいいんじゃないか」とか「それは自分たちの世界観とは合いません」とか議論ができる。経験談になるけど、そういうことをしっかり話し合える方たちとは、結果としていい仕事ができていると感じます。

――確固たる世界観を持ってる人ということでしょうか?

YMPそうそうそう。実際あいみょんは音楽だけじゃなくて、写真とかデザインとかでも幅広く自分を表現していて、牛丸(牛丸ありさ:yonige Vo/Gt)も自分たちのことをすごく客観的に理解していて、優人くん(池上優人:CRAZY VODKA TONIC Vo/Gt)も自分たちが作りたい世界観をしっかり狙って表現してる。ビジョンという言葉がいちばん分かりやすいんですかね。どこを目指しているか、どうなりたいか、どういう世界観を作りたいか、それをアーティスト側が明確に描けているかが大事だと思います。そういうビジョンがはっきりあると、僕らもその実現をサポートできる。

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よっしー
  • よっしー
1995年 大阪府出身。幼少期から音楽とITに浸かり育つ。現在は音楽関係のメディア・Webサービスに編集等で参加、個人でブログを運営する他、インタビューやライブレポート等の執筆も行う。